自由ーフリーダムー

オリジナル小説部屋。ときどき二次創作。本とテレビが好き。

小説家を目指すアマチュア作家の修業場所

ー幻影獣― 地球事変 げんえいけもの ちきゅうじへん 二

 

red-pink16.hatenablog.com

 

序章 二

『いつでもあなたを見守っています。あなたの元に仕え、あなたの行く末を案じております。

 それが私たち、『守獣《しゅじゅう》』の役目ですから――――』

 

*少年*

 雪が、降っていた。

 粉雪だった。

 ふわり、ふわりと落ちていた。

 白い花びら。

 真冬の空。

 嬉しそうに見上げながら、一組の夫婦が歩いている。

 妻は女の子を抱いている。

 夫は小さな男の子に向かって、「早く来なさい」と優しく言う。

 男の子は一人、雪かきの行われていない新雪に、手形や足跡をつけている。

 男の子は父親の声に気づき、家族の元へ走るが、滑りやすい地面に足を取られ、転んでしまう。

「まあ、大変」

 母親は心配そうに息子を見つめ、駆け寄ろうとする。と、腕の中の女の子が止めた。

「私が行ってくる」

 女の子は、するりと母親の手から降り、弟を助け起こしに行く。

 弟はすでに自力で起き上がっている。

 しかし、転んだ時にズボンの布が擦れて、皮膚が傷ついてしまったらしく、痛そうに膝をさすっている。

 自分は男の子だから、これくらいのことでは泣かないのだ。

 心に言い聞かせても、じん、と響く膝の痛みに耐えるのは、子どもにとって至難の業だった。

「雪夜《ゆきや》」 

 涙をぐっと我慢していると、姉の手が、ポンと頭に乗った。

 顔を上げると、自分より少し背の高い姉の姿があった。

「雪花《せつか》」

 名前を呼んだ。

「寒いのでしょう? 鼻が赤くなってる」

 姉は首からマフラーを取り、雪夜の首に巻いてやった。

 確かに雪夜の鼻は変色し、小さく縮こまっていた。

 弟は上目遣いで視線を送る。

『お姉ちゃんはいいの?』

 そう言いたそうな表情だ。

『私はいいの』

 静かに、説き伏せるように、姉は薄く笑いかけた。

 しとやかな微笑。

 母に似ている。

 姉はしゃがんで弟の膝を優しく撫でてくれた。

 不思議と、痛みが和らいでいく。

「偉いわね、雪花《せつか》は」

「ああ、もう立派なお姉ちゃんだな」

 両親は満足そうに呟く。

 雪花は、後ろに佇む両親の、慈愛に満ちた視線を受け止める。

 雪は降り止まず、四人の家族を、覆うようにして落ちてくる。

 

   

 

 はっと目が覚める。

 自分がひどく寝汗をかいていたことに気づく。

 スエットの上半身の、脇の部分が、じっとりと濡れている。

 爽やかな朝だというのに、この不快な気分は何だろう。

 ベッドから降りる。

 びしょびしょに濡れている。

 あんな夢を見たくらいで、どうして。

 あんな昔の、すっかり忘れていた子どもの頃の思い出。

 姉の姿。

「雪花」

 今も、小さな少女のまま、時間が止まっている。

「雪花……?」

 眩暈がする。

 今日も全く眠れなかった。

 睡眠の質が悪くて、ずっと魘(うな)されている。

 頭が痛い。

 しかし、考えていても埒が明かないのは、分かっていた。

 雪夜は朝の支度をした。

 

   *

 

 白のワイシャツ、ブレザー、ズボン、濃い青のネクタイ。

「まあ、似合ってるか」

 雪夜は自室を出た。

 ダイニングには、既に朝食を作り終えている母。

 父は出勤中である。

 真っ白いご飯、味噌汁、小さな目玉焼きとソーセージ。

 雪夜は低血圧なので、朝はそんなに食べられない。

 並べられている皿を見ても、何らかの記号のようにしか感じられない。

 ぽつぽつとした黒濁が、三点を結んでいるような、奇妙な図形を想像してしまう。

 椅子に腰を下ろし、ご飯と味噌汁を無理やり喉に通す。

「顔色悪いわね。大丈夫?」

 母が心配そうに尋ねてくる。

「……ん」

 一言しか返さないのはさすがに悪いだろうか。

 けれど、気持ち悪いのだ。

 頭痛が取れない。

 身体が弱過ぎて、話にならない。

 体育の授業も見学で、いきなり倒れ込むことだってある。

(ちゃんと食べてるのに)

 少なくとも、胃の中に食べ物は入っているはずだ。

 と、急に背筋が寒くなるような、激しい拒否反応が胃の中に来た。

 うっ、と、呻いた時には、遅かった。

 口に入れた食べ物が逆戻りする。

 雪夜は、その場に倒れ込んだ。

「雪夜!!」

 母が叫ぶ。

 ゴホッ!!

 出てきたのは、血。汚れた色。

 胃の中の食べ物は無かった。

 赤黒い液体が、ドボッ! と零れる。

「ギャーーーーッ!!」

 母は半狂乱に雪夜の肩を揺さぶる。

『私の息子が』

『私の息子が』

『私の息子が』

『私の息子がーーーーーーーーーーーーーっ!』

「やめてくれ!!」

 雪夜は必死に叫んだ。

 入って来るのだ。

 目に。

『心の眼(メ)』が、異常な色を雪夜に魅(み)せているのだ。

(助けてくれ、雪花)

 姉の名を呼ぶと、

 すう、と消え入るように『心の眼』が閉じた。

 束の間の平穏が、やっと訪れる。

 深く、浅く、息を吸って、吐いて、今度はきちんと瞼を下げる。

 もう一度、大きく深呼吸をした。

(……助かった)

 雪夜は落ち着きを取り戻した。

 部屋の蛍光灯が、いつも通りの色に戻って来る。

「……雪花」

 名前を、言った。

 胸に引っかかっているアクセサリーを握り締める。

 霧が晴れていくような快感。

 雪夜は泣いていた。

 姉がくれた『お守り』が効いたのだ。

 今日も助けられた。

(ありがとう、雪花)

 起き上がる。

「……ごめん、床を汚して」

 虚脱状態に陥っている母に、雪夜は一言、

「学校に行く」

と言い残した。

 

   *独りぼっちのママ*

 リビングのドアを開け、廊下に出た時、母はやはり泣き叫んでいた。

「あの子さえいなかったら」

 母は、自分の産み落とした娘のことが嫌いだ。

 息子のことは好きだけれど。

 雪夜は、どっちの味方にもなれなかった。

 雪花と、母と、父。

 家族のことが好きだった。

 母が、ドアから顔を覗かせた。

 少女のように震えている。

 何て年老いてしまったのだろう。

 まるで老婆のように白髪が乱れている。あれほど綺麗だった黒髪は、今や見る影も無い。

「気分が悪いなら早退していいのよ。とにかく、今日はまっすぐ帰ってらっしゃい」

「……ああ」

 雪夜は笑顔で応えたはずだったが、母の瞼は、重くのしかかっている。

 眉間に縦皺が寄っている。

 どう見ても、許さないつもりなのだろう。

 自分の息子が『あの学校』に進むことを。

 母の消えない憎しみが、見ていて痛かった。

 雪夜はあえて、優しい顔をした。

「母さん、心配しないでいい。俺は大丈夫だよ。何か雪花に関することがあったら、連絡する」

「ああ、本当にすぐ帰ってきて。

 お姉ちゃんのようにはならないでね」

「……うん、わかってる」

 悲しい女だ。

 雪夜は憐れむ気持ちを抑えられない。

(俺は今、どんな目つきをしているのかな)

『心の眼』は、また開いてしまったらしい。

 雪夜は、まだこの不可思議な『チカラ』を制御できない。

 母のすすり泣きが聞こえる。

 音楽のように、耳に入って来る。

 雪夜は思わず『聴いて』しまった。

「お父さんも、お母さんも、もうお姉ちゃんのことは半分受け止めているのよ。

 そもそも、間違いだった。

 あの学校に行かなかったら、失踪することも、いいえ、別の学校だったらって、私、ずっと思っていたんだから。

 そうやって整理をつけてきたの。

 それが今になって、お前は、お姉ちゃんと同じ学校に転校するなんて……」

 母は悲壮だ。

 瞼は、カッ、と膨れ上がり、大きく開いた目からは、ぽろぽろと涙が落ちている。

 母はすぐさま両手で顔を覆う。

「ごめんなさい……感情的になっちゃって」

「母さん。俺は雪花のこともあるけれど、学校そのものに興味があって転入するんだ」

 これは嘘だった。

「前の学校が悪いわけじゃなくて、友達もいたし、でも、あの校舎の外観が、何か、いいんだ。

 駅から遠いのは災難だけど、学校の敷地はすごく広い。

 決して軽はずみな気持ちで転校を決めたわけじゃないさ。

 あの学校でちゃんとやっていく。

 だから、心配しないで」

 雪夜はできる限りの、慰めの嘘を母にかけてやった。

 母は納得してくれたように、頼りなく笑顔を見せる。

「私、情けないわね。息子に心配かけせて……。あなたの鞄を取って来るわ」

 母は安心したように息を一つ吐く。二階へ上がり、雪夜の学生鞄を手に持って、戻って来た。

 母が鞄を渡す。

 雪夜は無言で受け取り、背中を向けて、玄関に逃げた。

 備え付けの姿見が、照明の光の加減で少し斜めに雪夜を映している。

 薄暗がりの鏡に映る自分の姿を見る。

 そっくりだ。

 瓜二つの、顔。

 最近ますます似ている。

 自分たちは、どうしようもなく、姉弟だ。

「可笑しいな、三歳上なのに」

 雪夜は雪花の身長をとうに追い越してしまっていた。

「独り言は止めてちょうだい」

 母が叱りつけた。

「……ごめんなさい」

 雪夜は謝ることしか出来ない。

 母はまた涙ぐむ。

 しばらくすすり泣いた後、リビングへ戻っていった。

「雪花」

 雪夜は独り言を繰り返す。

 姉がくれた『お守り』

 五つ星の、あの神社の、そう、最初は「合格祈願」だった。

「……大人は、ちゃんと子どもの無事と幸福を祈っている。雪花、お前は知っているのか」

 突如、姉に対して憤りのような、憎しみめいた感情が湧き上がる。だがその原因が分からず、仕方なく雪夜は目を瞑った。

 とにかく、始まりの一歩は踏み出したことになる。

 

   *鳥籠*

 雪夜は校舎の玄関の扉を開けた。

 すぐそこに生徒たちの下駄箱が見える。

 木で造られた上質な素材で、しかし使い古された感じがそこかしこに残っていた。この学校はどれくらい昔から建っているのだろう。

 真っ先に職員室へ行くよう指示を受けていた。

 吹き抜けのホールから廊下へ渡り、最も目立つ場所にある部屋の扉を数回ノックする。

 返事が返ってきて、雪夜は扉を開ける。

 入ってみると、どこかの外国映画に出てくるような、まるで暖炉でもありそうな部屋だった。

 上を見ると、他の部屋より電気の質が違うらしく、ぼんやりした蛍光灯が、部屋の雰囲気を橙色に染めていた。

「月城《つきしろ》君、こっちだ」

 これから担任になる教師が手招きしてきた。

 年相応の男性で、中年の体型を隠さず、おおっぴらに表している。

 度量が広そうな男である。

「まあ、最初は誰でも緊張するさ。君のクラスはあっちだな。みんなにはもう説明している。注目浴びるぞ?」

 担任は空気を和ますかのように、雪夜に大らかな笑顔を向けて言った。

「なぜ、注目を浴びるのですか」

 雪夜は素朴な疑問を口にした。

 低い声なので、初対面の人間には、怒っていると受け取られてしまうことがある。

 しかしこの男はやんわりと笑って、快活に答えた。

「そりゃ、転校生は、注目を浴びる存在だろう。

 新しい人間。

 物語の始まり。

 古今東西、みんなそうさ。

 特に君は、女子たちが悲鳴を上げるぞ」

 担任の男は楽しそうに、後ろを歩く雪夜の姿をちらりと見る。

 その視線は、値踏みするような安い卑らしさではない。

 純粋な好奇心から来ている。

 雪夜は『眼《メ》』で分かっていた。

 一年一組のクラスにたどり着く。

 雪夜は一度、軽い深呼吸をした。

 担任が先に教室の中へ入り、「全員、席に着けー」と、やる気の無さそうな声で言う。

「えー、みんなもう知っていると思うが、これから仲間が加わります。優しく迎え入れるように」

 何人かの生徒が空返事をした。

「月城君、入りなさい」

 担任の声が聞こえ、雪夜は一歩、踏み出した。

 一瞬、教室がしんと静まり返った。

 そして間を置いて、どっと賛美の声があふれ返った。

「おぉ! 美人!」

 さっそく一番前の席にいる生徒が、野次を飛ばした。

 いや、彼自身は野次を飛ばしたつもりは無いのだろう。だが雪夜にとっては同じことだ。

 雪夜は、じと、と教室をねめつける。

 クラスの人間を教壇から見渡してみると、女子たちが隣の女子と嬉しそうに内緒話をしていた。瞳を熱く自分の方に向けている。

 その中で、さっそく「気に入らないな」という表情がある。

 主に男子だ。

 同姓にはどうも好かれない性質(たち)らしい。

『山之上《やまのうえ》高校』から来ました。

 月城雪夜です。

 よろしくお願いします」

 散々愛想がないと言われてきた声で、自己紹介をした。

 クラスの騒めきが一層大きくなる。

「あそこ、超名門じゃん」

「何でこっちの学校来たんだろうな」

「問題でも起こしたとか?」

「しかも山之上なんて、目と鼻の先だし」

 男子たちが値踏みするように、雪夜を見ながらひそひそと喋っている間、女子たちはうっとりした眼差しでこちらを見つめていた。

「月城の席はあそこな」

 担任が雪夜の背を押した。

 雪夜は前に進む。

『ようこそ。大神《オオカミ》学園へ。』

 ぴく、と耳を震わせる声が走った。

(誰だ)

 鐘の音が、響く。

 

 キーン、コーン、カーン、コーン……。

 キーン、コーン、カーン、コーン……。

 

 朝のホームルームを知らせるチャイムだった。

 

   第一章へ続く。⇒

 

オリジナル作品のみの扱いです