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花凜文学創作所

自由気ままな創作表現

山岸凉子、デビューへの道

山岸凉子先生、デビューへの道

 

(記事抜粋・2016.12.12「AERA朝日新聞出版 文=島﨑今日子)

 

母が羽生くん目当てに買ってきた今月号のAERAに、山岸凉子先生のインタビューが載っていました。

山岸先生といえば花の24年組世代。萩尾望都竹宮恵子大島弓子らとともに七〇年代少女漫画の革命児と呼ばれ、今もめざましい活躍をしております。

 

インタビューを読んで思ったことは「へえ、山岸先生はこんなふうにデビューしたのか」ということ。

実際にどのようなデビューをされたのか、本文記事を抜粋しながら書いてみました。

 

 

  • 名前の由来

まず先生のお名前は「凉子」と書きますがたいてい「涼子」と間違われます。

それも常用漢字のうんたらではなく役場の手違い「涼」「凉」になっちゃったみたいで、先生ご自身も「生まれながらのミステイクなの」って一言で自分説明しちゃうんだから大物だわ。(大物だよ)

 

  • デビューへの厳しい道のり

先生が小さなころから好きだったのは「絵を描くこと」と「話を作ること」と「踊ること」だったといいます。

先生のお母さま曰く「ドジで落ち着きがない」子どもだったそうで、家ではずっと「そんなんじゃお嫁にいけないよ」とお母さまから怒られていたと。

(先生の育った時代は女性にとってなかなか厳しい世の中だったんですね……)

 

その先生を漫画家になる!と決定づけさせたのは、当時十六歳でデビューを決めた里中満智子さんでした。先生はその時十七歳の高校二年生。たぶんものすごい衝撃だったと思いますよ、私だったら十代で年下にデビューされたら、そいつの著作買って一言一句チェックしながら身もだえる地獄を味わっていたと思います……。(いやきっと先生もそれぐらい略)

それから先生は漫画に人生を捧げますが、新人賞応募では「少女漫画に合っていない」と評され、売り込みでは「このままお勤めを続ける方がいいですよ」と言われます。(最後のはキツイ……)

 

しかし先生はそのまま引き返す人ではありませんでした。

 

たまたま同じ階にあった「別冊りぼん」の編集部に立ち寄り、そのときいた編集者に「おもしろい!もっと描いてくれ!!」と天の啓示を受けたのです。

(その編集者はのちに「ベルサイユのばら」(池田理代子著)を世に送り出す名編集、秋山さんです)

 

そして正月、秋山さんから連絡を受け、先生は「死ぬほど妥協しまくって」自分の絵を当時流行の丸顔にし、流行りのスポ根漫画を描きあげました。念願のデビューができたのは、二十一歳の五月でした。(今で言うと三十代くらい……?)

 

  • またとない漫画家へ

その後、先生はまだ縛りの多かった少女漫画にて、レズビアン少年愛、少女の内面、女性心理を大きく展開させていきました。(←1970年代

秋山さんはその時代を振り返り、先生をこう評します。

「次々と自分からテーマを出していく漫画家は貴重だった」

「見た時の衝撃はあったが、完成度が非常に高かった」

さらに先生より一学年下で先にデビューした忠津陽子さんも、こう評しています。

「絵もテーマも常に新しいものが出てくる。あの人の作品を見て、がっかりしたことはありません」

 

  • 先生の頭の中

山岸先生は、ストーリーがどこから生まれてくるのか、なぜその台詞が湧いてくるのか、キャラクターはどうやって作っているのかを一切説明できないのだとか。ストーリーが生まれる理由(根拠)はわからないのだそうです。

記者の島﨑さんはこの言葉を受けて「意識すればストーリーは生まれてこないのだ」と記述しています。

先生はこう回答しています。

 

「評論もファンレターも読まなかった。ほめられてもけなされても作品に影響する。無意識で描いたものと、意識して描いたものとではパワーが違う」

 

つまり先生は、プロットも構成もキャラクターの台詞も世界観も全てが自然に出てきてそのままに描ける人だったというわけですよ。天才だよね。

花の24年組だもんね。革命起こした人たちの一人だもんね。

 

寿司屋で例えたら「寿司作らせてください」→「まずどれだけ出来るか見せろ」って言われて作っていきなりカリフォルニア巻きが出来上がってみんながドン引くうちに一人の勇者が現れて食べて「めちゃくちゃ美味えええぇぇ!!!」って叫んだあと感染レベルでほかの全員も平らげてしまう現象だよね。

気づいたら逆輸入だもんね。(真剣)

こういう人に模範を教えること自体が間違っているってことだもんなあ……。

…………すげえ人だな。

 

  • ここまでまとめて自分なりに思うこと。

 

ずっと書いていればいいんじゃないかな。

山岸凉子先生と自分を比べるなんておこがましい、なんて言ってないで、はっきり断言しちゃいましょうよ。「私は山岸凉子だ」って。

 

先生自身も、落選して、佳作止まりで、「会社に戻ったら」なんて言われて、それでも秋山さんに出会った。それは先生が自分で探し当てたチャンスです。

 

編集者は人で、星の数ほど個性が違い、物の好き嫌い(好みの問題)も多種多様に分かれています(作家と同じですね)。絶対的に正しい編集者も作家もいません。

 

なら、自分を見つけてくれる人に出会うまで多くの人と出会っていくのも手ですね。書き続け、読み続け、自分の視野を広くさせてくれる世界中のものに触れて生きていくのが、一番の近道なのでしょう。

 

自分の力(感性)を信じるのも殺すのも、自分自身です。

もし自信作が落選して酷評されたら、そんな時こそ「私は山岸凉子だ」と思いましょうね。一緒に震えましょう。

 

 

追伸 先生の代表作紹介(の短い文章が全てを説明できていてすげぇ……!)

  1. 天人唐草(てんにんからくさ)→親の支配から逃れられないまま発狂する女性を描いた名作短編。
  2. 日出処の天子(ひいずるところのてんし)→「LaLa」に発表(32歳)。「あと50年は誰も聖徳太子を描けない」と大和和紀に言わしめた、厩戸王子(うまやどのおうじ)の若き日を描く歴史ロマン。(文・島﨑今日子)

  3. 島﨑さんかっけえ……。