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花凜文学創作所

自由気ままな創作表現

‐幻影獣‐ 地球事変 《長編シリーズ》

オリジナル創作
  • 幻影獣に選ばれた、不思議なチカラを持つ生徒たちの学園サバイバル。
  • 四方を森林に囲まれた陸の孤島、青狼〈せいろう〉学園。学校創立者の銅像は獣。100年以上前から言い伝えられている学校七不思議。巷で騒がれてる都市伝説。この学校には<チカラ>を持つ生徒たちが潜んでいて、<外部>と常にコンタクトを取っているという噂だが…?
  • オカルト風味な冒険ファンタジー。地球編。

 

 じりじりと日が照り付ける。うっとうしいくらいに暑い中、憂鬱そうに箒を掃いている一人の少女がいる。もうかれこれ十分も少女はここに佇んでいる。

 掃除の時間、少女はモップで遊んでいる男子生徒を注意したが、それが原因で男子と女子の言い合いになり、いつの間にかクラスの片桐奈実と相崎修人の二人の口論になっていた。その時に先生が教室に入って、中の状況を把握すると、班の者全員に居残りの罰掃除を与えた。少女の担当する場所は、学校の裏庭だった。誰も来ないような場所に、少女は一人で掃除をするはめになったのだ。

 まったく、どうしてこうなるかな。こんなことなら注意しなければよかった。そうすればたとえ先生が来ても罰掃除をさせられるのはあいつらだけだったのに。まあ、今さら後悔してもしょうがないけど。

 少女は深いため息を落とした。罰掃除の時間は三十分と言われていた。あと二十分もあるが、途中で投げ出すことはしたくなかった。とはいえ、この暑さの中に三十分もいるのはさすがにバテる。少女は少しだけ木陰の下で休むことに決めた。

 奈実と相崎なんてもっと大変だろうな。グラウンドの掃除をやらされているもの。ああ、ここにゴミが溜まってる。ちり取りで取っておこう。

 そう思い、少女は何気なく物置の扉を開いた。

  ふと、〈そこ〉に目をやった。いや、目を奪われたと言った方が正しいだろう。一体なぜこんな汚い場所に、こんなに綺麗な物があるのだ。


 目をとらわれた物は、香炉だった。青の模様で縁取られている蓋が、カッポリと収まっている。香炉の取手側と蓋の上に、金色の飾りのようなものが付いていた。蓋を見ると、所々に隙間があり、そこから仄かな甘い香りが伝わってきた。
ずいぶん長い間使われていた物らしく、香りが染みついているようだった。少女はゆっくりと嗅いでみた。

 ふいに視界が揺らいだ。

足元が浮くような感覚を覚える。頭の中がぼうっとする。

 気持ちいい。なんだかすごく気分がいい。まるで空に浮かんでいるみたい。このまま空を飛んでみたい、今なら何処へでも行けるかもしれない。

 がくんと頭が垂れた。少女ははっとして辺りを見渡した。そこはいつもの汚い物置だった。

 今のは、何? 私、どうしちゃったんだろう。あれ、これは?

 視線の先には香炉ではなく、靴があった。

これはうちの学校指定のローファーだ。一瞬、自分のものかと思ったが、小柄な彼女の足には、この靴は少しばかり大きかった。それに。

 どうしてこんなにボロボロなんだろう。まるで何かに踏みつぶされた感じ。

 よく見ると、靴に点々と赤黒いシミのようなものが付いている。まるでこれは。

これって……。

「百合花! 何ぼうっとしてんの。暑さにやられた?」

 背後で声がして、少女――百合花(ゆりか)はビクリと後ろを振り返った。

「ああ、奈実(なみ)。それと相崎(あいさき)」
 
そこには長いこと親友をやっている片桐奈実(かたぎり なみ)と、一緒に罰掃除をやらされていた男子生徒、相崎修人(あいさき しゅうと)が立っていた。

 少し癖のある髪を伸ばしている子、奈実は、百合花と小学校の時からの付き合いだ。背が高くスポーツ万能で、面倒見もある男らしい奈実は、百合花にとって姉のような存在だった。

相崎修人はクラスに必ず一人はいる典型的なお調子者で、いつも笑いの中心にいる。今回の罰掃除の件も、元をたどれば彼のせいだ。

「二人ともどうしたの、掃除は?」
「何言ってるの、もう三十分は過ぎてるよ。掃除とっくに終わっているわよ」
「え?」
 
百合花はあわてて腕時計を見た。時間は三十分をとうに超えていた。

 そんな。いつの間にこんなに時間が。

「有沢って意外とズボラだなあ。そんで、こんなところで何やってんの? やっぱり暑さに侵されて休憩してた? そりゃそうだよなあ。こんなくそ暑い中で掃除なんてやってられないよ。あのハゲ、絶対俺たち殺す気だよな」

「なによ。もとはと言えばあんたがふざけたからこんなことになったんでしょ。確かにあのハゲはムカつくけどさ、あんたが真面目にやれば何事もなく済んだの! お分かり?」

「あらら、人生そんなに真面目に過ごしてたら疲れるだけだって。たまには羽目を外さないとストレス溜まるぞ。お分かり?」

「あんたはいつも羽目外してるじゃない。たまには真面目にやんなさいって言ってんの」

「気楽に考えろって、気楽に。それに俺だけが責められるのはどんなもんかなあ。もとはと言えば注意して話をややこしくした有沢が悪い」

「ど、どうしてそこに私が入るのよ。ああ、ねえ、私さっきそこで変なもの見つけたんだけど」

 二人の言い合いに巻き込まれるのは御免なので、百合花は別のことに話題をずらした。

「変なもの?」二人は声をそろえて言った。

「うん。ここらへんにボロボロの靴が落ちてあったの」本当は香炉が靴に変わったように見えたのだが。

「靴なんてどこにあるのよ?」
「え? だってそこにあるじゃん」
「有沢、お前マジで暑さのせいで脳みそやられた?」
 
二人はあぜんとした顔で百合花を見つめた。振り向いた先には、何も落ちていない。

 今度は百合花があぜんとする番だった。落ちてあったはずのボロボロの靴は、跡形もなかった。

 

 残暑はまだ残っている。じりじりと肌が焼き付くのを感じる。九月の気温にしてはずいぶんと高い。
 百合花たちは暑さにうんざりしながらも、家への帰り道を楽しくしゃべりながら歩いていた。

 あの後、本気で心配し始めた奈実をなだめながら、百合花はあの靴と香炉のことを考えていた。 一体あの香炉は何なのだろう。どうして学校の汚らしい倉庫になど置いてあるのだろう。そしてあの靴は。

「なあ、有沢が見た靴のことなんだけどさ、お前、靴を見る前にさ、その、香炉とか見なかった?」
 
 突然、相崎が図星をついてきたので、百合花はぎくりとして立ち止まった。

「み、見たけど……」
「やっぱり」

 相崎は納得したようにうなずいた。

「な、何が、やっぱりなの?」

 百合花はおそるおそる聞いてみた。

「うちの学校に伝わる噂、お前ら知ってる?」
「知らないけど」「知らないよ」二人は声をそろえて言った。
「だよなあ。何かお前ら、そういう類の話、興味なさそうだしなあ」
「そんなことはどうでもいいのよ。それよりも、その噂ってやつを教えてよ」

 奈実がじれったそうに言った。相崎は苦笑し、話し出した。

「まあ、噂と言うよりは言い伝えだけど。もう十年くらい前に、この学校に転校生がやってきたんだ。

 その子は手に香炉を持ったまま教室で挨拶した。お近づきの印に、という理由で。その子はみんなに一通りの香炉の説明をして、香炉を教室の奥の戸棚に置いた。

 初めはみんな見ているだけだったけど、そのうち一人の生徒が転校生の説明通りに香炉を使ってみた。
 香炉はすごくいい香りで、思わず生徒は目をつむった。目を開けると、とんでもないことが起きた。
 
 香炉は消えて、新品のシャーペンが置いてあった。

 生徒は怖くなって、いったん教室から逃げ出した。でもやっぱり気になって戻ってくると、香炉は元の位置に置いてあった。

 翌日、担任教師から漢字検定の優秀賞、努力賞をもらった。景品として贈られたのは、あの時見たシャーペンそのものだった」

「えー、何それ。幻覚?」
 奈実が気味悪そうに顔をしかめた。

「とにかく、そういうことがあったんだよ。それで、香炉は一気に生徒たちの間で話題になった。綺麗な代物だったし、休み時間は多くの生徒たちが香炉を見ようと殺到した。香炉の香りを嗅いで、目を閉じる。開くと、香炉がある物に代わる。それは近いうち、自分の身に起きる出来事を予測したものなんだ」

「つまり、香炉はその人の未来を予測して、それに関連した物を香りによって『魅せる』ことができるわけ?」奈実が頭をひねりながら話を整理した。

「ああ。その香炉は、そのうちみんなから『夢香炉』と呼ばれるようになったんだ」

 百合花は二人の話を聞きながら考えていた。だとしたら、私がさっき見たあの靴は何なのだろう。あのボロボロの靴。あれは私の未来なのだろうか。

「それと、その『夢香炉』伝説には続きがあるんだ」
「続き?」
 百合花と奈実は相崎の顔を見つめた。相崎は続ける。

「香炉の所有者の転校生は、みんなから人気者になった。けれどある日、転校生の姿が見当たらなかった。学校にも連絡が行ってない、家にも誰もいない。無断欠席として時間はそのまま過ぎていった。
その日突然、学校中から悲鳴が上がった。人が飛び降りたんだ。それは、転校生だった」

「屋上から飛び降り自殺したってこと?」
 奈実が口を入れる。相崎はうなずいた。

「そういうことになるな。それからのこと、香炉は相変わらず未来を『魅せ』続けていた。けれどだんだん、みんなの顔から生気がなくなっていった。授業にも集中できなくなり、やがてみんな、何をするにも先のことが見たくなってしまい、香炉に手を伸ばすようになった。 でも、未来っていいことばかりじゃないだろ。良くない未来も同じように『魅せる』。 それでみんな鬱状態になったり、不登校になったり、あの転校生のように自殺してしまったりしたんだ」

「……穏やかな話じゃないね」
 百合花はぽつりとつぶやいた。

「……まあ、強い精神の人は死んだりしないだろうけど、世の中そんな人ばかりじゃないしね」
 奈実が相槌を打った。

 相崎は話を収束し始める。

「ああ。もうこんな物はなくした方がいいって、一人の生徒が香炉を物置に持って行って、物置ごと火をつけて燃やしたんだ。香炉は燃えて、周りのみんなも少しずつ回復していった。焼け跡から香炉は結局見つからなかったけど、みんな元に戻ったので、めでたし、めでたし、という言い伝え」

「ちょっと待ってよ。それ全然めでたしじゃないじゃん。もう消えたはずの香炉が今またあそこの物置に現れたってことでしょ? つまり、すごく危険な状態じゃない」
 奈実が血相を変えて相崎に詰め寄った。

「そう、片桐の言う通り、危険な状態なんだよ。有沢、お前ここ数日間、注意しろよ」
 相崎の目がこちらに向かれた。百合花はドキッとする。

「そうだよ、百合花。もう物置には行かないようにね。まあ、あんなところめったに寄り付かないけど」
「で、でも」
「大事に越したことはないぞ。有沢が見たのはボロボロの靴。それに関連したことって、何か、絶対いいことじゃない気がする」
「私もそう思う。とにかく気をつけなよ。今が変われば未来も変わるんだから」
「う、うん。わかった」

 百合花がそう言うと、二人はほっとしたように表情を和らげた。

しかし百合花はあの香炉のことが気になっていた。あんな話を聞いた後なので、怖くなるどころか、ますます興味を持ってしまった。

 明日の放課後、もう一度物置に行ってみよう。奈実には悪いが、靴という手がかりだけではわからない。せめてもう一度だけ香炉を見たい。
 
 翌日の放課後、百合花は足早に物置へ向かった。

奈実には適当な理由をつけて先に校門で待ってもらった。百合花は何よりも香炉を嗅いだ時のあの感覚が忘れられなかった。一回だけ。せめてもう一回だけなら。

 しかし、百合花は物置の前で足を止めた。一人が行く手を遮っていたからだ。

「……どうしてここにいるの?」

 相崎が、壁に背を向けて立っていた。

「口だけの約束なんて信用できないからな。一度や二度の注意ぐらいじゃ効果がないってことは目に見えていたよ。みんなそうだったし」

「みんな……?」

 そこで百合花は気が付いた。おかしい。いくら何でも詳しすぎる。言い伝えとはいえ、なぜそこまで知っているのだろう。十年も前ならこの学校にいるはずがないが、それではみんなとは。

「相崎。あんた、一体何者なの……?」

 相崎の表情が曇った。

「……今は、言えない。でも有沢、これだけは言っておく。今まで香炉に触れてきた連中は、みんな悲惨な結果に終わっている。俺はそんなやつらをたくさん見てきた。お前は香炉に沁みついていた香りを嗅いだだけだから大丈夫だ。一度だけだったし、もう物置には行くな。たとえいい未来だったとしても、だ」

 百合花が返答する前に、相崎は口調を強めて注意を促す。

「それと、身の回りに注意しろ。靴ってことは、おそらく外で起きる出来事だ。くれぐれも冷静になれよ。今が変われば、未来も変わる。未来は、分からないから面白いんだよ。これで俺の忠告は終わり。有沢、気をつけろよ」
 
 とぼとぼと、校門まで歩いた。
両方の肩が、まるで鉛でも背負っているみたいに重い。さっきまでの舞い上がった気分が、今や地べたを這いずり回っているような気持ちに落ちていた。頭の中に相崎の声がこだまする。有沢、気をつけろよ。未来は分からないからおもしろいんだよ。

 私はそうじゃない。私は、先のない未来のことを考えると不安になる。今が変われば未来も変わるなんて、本当だろうか。もしかして、最初から全部仕組まれているものではないのか。この時間も、この人生も。

「おーい、百合花」
 奈実の声に顔を上げた。道路の手前の信号下で、奈実が手を振っている。百合花はいくぶん楽な気持ちになった。

「どうした? 遅かったじゃん」
 追いついた百合花に、奈実は明るい声を出す。

「ごめんね。長引いちゃって」
 百合花は力なく笑った。

「何かあったの? あ、もしかして相崎になんか言われた? 気にすることないよ。あいつ、いつもふざけたことばかりしているんだから。あの話も、何か出来過ぎているしさ。ただの法螺話でしょ」

 奈実にそう言ってもらえると、百合花はほっとする。ずっと前から、奈実の言葉だけが支えだった。

「そうだよね。帰ろうか」
 前を見ると、ちょうど信号が変わったところだった。

「奈実、早く渡ろう」
「そんなに急がなくても」

 けれど百合花は走り出した。すぐにでも校門を出たかったのだ。とにかく急げば、このモヤモヤした気持ちも飛ばせるような気がした。

 突然、耳をつんざくような音が響いた。電車がホームに来る時に鳴るクラクションを何十倍にもしたような、鼓膜を震わせる音。
 振り返ると、大きな乗用車が目の前に迫っていた。運転手と目が合った気がした。向こうは目を見開いて、硬直したように動かなかった。

「百合花!!」

 奈実の叫び声が聞こえた。
 
 いつの間にか、周りに人だかりができていた。

その中に、相崎もいる。彼はただ無念そうに唇を引き結んでいた。

それだけ確認すると、百合花は顔を覆った。隣で横たわっている友人を前に、ただ涙を流すことしかできなかった。今さらになって、自分の行動を激しく後悔した。

 こういうことだったんだ。あの香炉は、私の身に降りかかる危険を先に物で警告していたんだ。そして相崎が『夢香炉』伝説を語ったのも、私を物置で待ち伏せしていたのも、私を庇うためだったんだ。

 ごめんなさい。もっと早く理解しておけばよかった。もっと耳を傾けておくべきだった。表面などに囚われずに。

 百合花は見たのだ。

 車の下に転がっているボロボロの靴。点々と血のシミが付いた、あの時見た靴を。